『貧困と共和国―社会的連帯の誕生』
韓国語版(2014年発行予定)序文




 本書の韓国語版が出版されることを大変光栄に思う。本書の原著は1990年代後半から2000年代前半のフランスでの研究を踏まえ、2006年に日本で出版されたものである。韓国の読者の方々のために、本書が出版された当時の文脈について、若干の補足説明を行わせていただきたいと思う。

 当時の日本は「格差社会」が話題になり始めていた時期であった。国営放送であるNHKが2006年7月に放映した特集「ワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない」は、若者のあいだに広がる貧困を多くの人に認知させ、衝撃を与えた。格差への対応が大きな論点となり、「社会的なもの」や「連帯」をタイトルに冠した本が次々と現れるようになった。

 とはいえ、本書を準備していた時期のフランスと日本では、文脈に大きな違いがあった。この時期のフランスでは戦後に築き上げてきた「フランス型社会モデル」が転換しつつあった。現在でもそうであるように、フランスは先進国の中でも最も手厚い社会保障が根づいてきた国である。それは「社会的共和国(République sociale)」や「連帯(solidarité)」という理念とともに語られてきた。ところが1990年代に入ると、グローバル化やヨーロッパ統合の進展によって、手厚い社会保障がフランス企業の競争力を削ぎ、失業を増大させている、という批判が広がるようになる。実際、フランスの失業率は10%近くに高止まりし、長期失業者や若年失業者も町にあふれ、「社会的排除」は誰の目にも明らかとなっていた。従来の「連帯」のあり方をどう再考するのか、「社会的なもの」をどう構築しなおすのかが問われていた。

 こうした文脈において、もともとフーコーの生権力論に影響を受けていたF. エヴァルド、J. ドンズロ、G. プロカッチなどの研究者だけでなく、P. ロザンヴァロン、R. カステルなどフーコーから距離をとる研究者によっても、19世紀以降の「社会的なもの」の思想と歴史を再検討し、それを今日に生かそうとする試みが活発に行われていたのである。

 一方日本では、公的な社会保障の仕組みは一貫して未発達であった。たしかに日本でも、国民皆保険・皆年金は1961年に達成された。しかしその給付水準は、現在に至るまで先進国で最低水準にとどまっている。その代わりに大企業を中心とした企業福祉、地方への公共投資、中小企業への保護規制などが発展し、それらが人びとの生活を支える独自の仕組みとなっていった。こうした仕組みは1980年代の自民党政権によって「活力ある福祉社会」というスローガンによって表現され、企業活力と社会的平等を両立させるモデルとして称揚された。つまり日本では、「社会的なもの」は「経済的なもの」に対抗するというよりも、一貫して「経済的なもの」に従属するものとして語られてきた。それはせいぜい未熟な公的福祉を代替するものであり、普遍的な社会的権利や社会保障と結びつくものとは考えられてこなかったのである。

 ところが日本型「福祉社会」モデルは、1990年代以降に急速に崩壊していく。国際競争に直面した企業は、手厚い企業福祉をすべての労働者に提供することをやめ、非正規雇用や派遣労働を増やしていった。バブル崩壊後の経済の低迷によって財政赤字が積み重なると、政府は地方への公共投資を減らし、医療・年金の水準を一層引き下げた。さらに自由化の圧力の下で、中小企業への保護や規制も次々と撤廃された。2001年〜2006年の小泉純一郎政権は「構造改革」を掲げてこれらの政策を推進したが、日本型「福祉社会」が解体した後に残されたのは、都市と地方の格差、全労働者の三分の一に上る非正規労働者(とりわけ若者)の貧困、失業すると住む家さえ失ってしまうような不安定な雇用と暮らしの広がりだった。

 つまり日本では、戦前から戦後にかけて一貫して産業化・経済発展が優先されてきたため、「社会的なもの」に固有の論理とは何か、に関する議論は蓄積されていなかった。フランスでは自国の歴史を再検討することで「社会的なもの」を再構築することが模索されたが、同じ時期の日本では、「社会的なもの」の構築がはじめて正面から問われることになったのである。

 筆者の知るかぎり、こうした文脈は韓国とも通ずるところがある。韓国は財閥系の大企業を中心とした輸出によって急速な経済発展を遂げてきた。その一方で、福祉の機能は地方への利益配分や家族の絆によって代替されてきた。1997年末のIMF危機以降、自由化とともに公的社会保障の整備が急速に進められてきたとはいえ、その水準はヨーロッパ諸国に比べると十分とはいえない。近年では非正規雇用が急増しており、貧困問題を取り上げる社会運動も活性化している。地域主義や家族主義を超えて「社会的なもの」をいかなる論理によって語るのか、「経済的なもの」と「社会的なもの」の関係をどう考えるのかは、韓国でもまさに今日において正面から問われているのではないか。

 本書の内容は、韓国や日本が直面する今日の問題にたいして、何らかの直接的な示唆を与えるものではない。とはいえ、「近代社会」の一つの典型といえるフランスが、急激な産業化と膨大な貧困の登場を目の前にして、どのような模索を行ったのか、それらをどのような思想的な言葉で語ろうとしたのかを顧みる手がかりにはなる。これらの歴史を知ることは、現代の韓国や日本にとっても、福祉の理念、社会的権利の理念を練り上げるための一つの手がかりを与えるのではないか、と願っている。

 最後に、本書の翻訳に真摯に取り組んでいただいた朴海男博士に御礼を申し上げたい。筆者が35歳のときに出版したこの本は、文献の引用箇所、翻訳の間違いなど、複数の誤りを含んでいた。本文のみならず脚注の一つ一つに至るまでフランス語の原文に当たっていただき、それらをチェックしていただいたおかげで、本書の完成度は原著よりはるかに高まったと思う。朴博士の誠実で優れた翻訳作業に心から御礼と敬意を表したい。


2013年12月
田中拓道